10月下旬から4月頃まで冬型の気候で積雪も多く厳しい環境でしたが、鉱山での生活すべてが完結できるように、
社会の福利厚生として住宅・病院・生活に必要な売店・学校・郵便局・銀行・娯楽施設等が設置され、最盛期は
従業員4,000人あまり、家族を合わせた人口は約15,000人が生活していました。
またセントラルヒーティングや水洗トイレ完備の鉄筋コンクリートによる集合住宅、劇場など生活に快適な当時の最新設備が導入され、松尾鉱山は「雲上の楽園」と言われ、麓の人は松尾鉱山へ買い物や映画、演芸を観に行くことが
楽しみだったようです。
木造の建物は延焼実験目的で焼却され、鉄筋コンクリートの建物だけが残されました。
現在は、それらの建物が山中に廃墟として残っています。1990年(平成2年)に写真家の丸田祥三が廃墟化した
松尾鉱山を写真集に収め、それがニュース番組のイメージショットにも使用されました。
また、鉱山から流出する大量の強硫酸水は北上川に流出を続け、強硫酸水を中和するために直接、中和剤(石灰)を
投入する暫定中和処理も行われましたが、北上川の汚濁は大きな社会問題となりました。
これを受け、昭和51年8月【北上川水質汚濁対策各省連絡会議】(五省庁会議)において緑ヶ丘地区に処理施設の建設が決定、5年の歳月と約93億円の巨費をかけ、昭和56年11月に旧松尾鉱山新中和処理施設が完成しました。
現在もその処理は続いています。